Epoque de Techno
エポック・ドゥ・テクノ
2009.11.18 / MHCL-1627~8 / Sony Music Direct
DISC 1 "TUTU"
01. ラムール・トゥージュール L'Amour Toujours
(Words: Miharu Koshi, THE TELEX / Music: THE TELEX /
Arrangement: Dan Lacksman, Marc Moulin)
02. レティシア Laetitia
(Words, Music & Arrangement: Miharu Koshi)
03. スキャンダル・ナイト Scandal Night
(Words, Music & Arrangement: Miharu Koshi)
04. ラムール、あるいは黒のイロニー L'amour ou ironie noire
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Yuji Kawashima)
05. シュガー・ミー Sugar Me
(Words, Music & Arrangement: Miharu Koshi)
06. プッシー・キャット Pussy Cat
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Yuji Kawashima)
07. キープオン・ダンシング Keep on Dancing
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Kenji Omura)
08. 日曜は行かない Dimanche, je ne vais pas...
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Kenji Omura)
09. プティ・パラディ Petit Paradis
(Words, Music & Arrangement: Miharu Koshi)
[bonus track]
10. 妙なる悲しみ Belle Tristesse
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
DISC 2 "PARALLELISME"
01. 龍宮城の恋人 Un amoureux dans le château sous-marin
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
02. Capricious Salad
(Words: Miharu Koshi, Masumi Kodama / Music: Miharu Koshi /
Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
03. Image
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
04. サン・タマンの森で Au bois de Saint-Amand
(Words & Music: Barbara / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
05. メフィストフェレスを探せ! Cherchez Méphistophélès
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement:Banana)
06. 逃亡者 Fugitif
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
07. パラレリズム Parallélisme
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
08. Décadence 120
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Miharu Koshi, Haruomi Hosono)
09. 薔薇の夜会~あるいは甘い蜜の戒め
La soirée de la rose ou précepte du miel doux
(Words & Music: Miharu Koshi / Arrangement: Banana)
[bonus track]
10. プティ・パラディ Petit Paradis(English Mono Version)*
(Words: Miharu Koshi / English Words: Fay Lovsky /
Music & Arrangement: Miharu Koshi)
*MONO
Digitally remastered by Mitsuo Koike at AST, Tokyo in September 2009
Remastering supervised by Haruomi Hosono & Miharu Koshi
Art Director: Katsumi Asaba
Cover Illustration: Zin Akaki
コシミハル インタビュー(TUTU編)
80年代に細野晴臣に見いだされた、ガーリー・テクノポップの草分け的存在であり、以降アルバムをリリースするごとに、ファンタスティックな世界観を築いてきたコシミハル。パンク/ニューウェイブ最盛期に制作されたアルファ/¥ENレーベルの時代の初期作品から、シャンソン、ジャズのスタンダード、フランス近代音楽などを背景に独自の音楽を築いていく「父とピストル」「希望の泉」まで語るロングインタビュー。越美晴からコシミハルへ。その魅力と創造の源泉をクローズアップします。
~デビュー前夜の越美晴~
― どのようなきっかけで音楽を始めたのでしょう?
3歳になるとピアノを習わされました。でも両親はとても厳しくて最初から注意ばかりされたので、嫌いになっちゃったんです、すぐに。で、そこから逃げるように本を読んだり、木に登ったり、とにかく遊んでばかりいました。
そうしているうちに何となくピアノを弾いていたら曲が出来てしまったんです。
― その頃作ってた曲はどんな曲でしたか?
合唱で歌うような曲でした。
― 70年代終わりにシンガー・ソングライターとしてデビューします。ポップス的な楽曲を書き始めたきっかけは何かありましたか?
クラシックピアノの練習よりもシャンソンや映画音楽の譜面を買ってピアノを弾いて歌うのが好きだったので、そこで多くのメロディーに触れる機会を持ちました。特に意識することもなく、気が付くと曲を作っていたという感じです。
― デビューした経緯についておしえてください。
テレビのオーディション番組ですね。小さな頃は母の影響もあって越路吹雪さんの舞台が好きになり、踊ったり、歌ったりする舞台のキラキラしたイメージにとても憧れを抱いていました。
― 憧れていた芸能の世界に入っていったとき、自分の中ではどう感じていましたか?
何だかよくわからなかったですね。無防備でした・・
― その当時RCAからアルバムをリリースしています。レコーディングはディレクターやプロデューサーと一緒に制作したのですか?
ファーストアルバムは、自分がそれまでに書いてたものをそのままレコーディングしました。その後、眠る時間もないほど忙しい毎日が続き、心身ともに疲労困憊しました。
― RCAでアルバムをリリースした後に、当時YMOで一世を風靡したアルファレコードに細野さんと高橋幸宏さんがはじめた¥ENレーベルから「チュチュ」をリリースします。細野さんにデモテープを聴いてもらった時、「そのまま(デモのまま)でいいよ」と言われたそうですが。
「凄く良いからこのままレコーディングしよう」と言われてとても嬉しかったことを思い出します。
― RCAの頃と比べて、サウンドが急にテクノポップになりました。
何も発表していない時期がしばらくあったので、急に変わったと見られたんだと思います。その間ずっと家に引きこもって多重録音していたんです。ある時、エンジニアの吉野金次さんとイベントで知り合ったんです。ティアック4CHのカセットテープレコーダーを使って録音していくイベントで、その機械がとても面白くて。それからシンセサイザーとかヴォコーダーなどに興味を持つようになって。とにかくピアノから離れるという開放感が良かった!シンセサイザーは最初の頃はCS-15というヤマハの単音しか出ないものを使って、それはすごく楽しかったですね。最初に和音を押さえないで単音で作っていくのが刺激的でした。あとはリズムボックスですね。一番初めはドクターリズム、それからTR-808とか。
― 機材からテクノに興味をもったのですか?
はい。それと、当時流行っているニューウェイブ~テクノも徐々に聴いていました。将来について思い悩みながらも、とても高揚感がありました。
― その頃によく聴いていたアーティストは?
どれも本当にみんな好きでした。テレックス、ディーヴォも好きでしたし、チューブウェイ・アーミーでしたっけ…ゲイリー・ニューマンとか。トム・トム・クラブも好きでした。あ、スパークス、ジョン・フォックスとかウルトラヴォックスとか、ゴドレイ・アンド・クレーム、XTC・・・いっぱいいましたね。アダム&ジ・アンツ、タキシードムーンとか。ペンギン・カフェ、クレプスキュールのアーティストも好きでしたね。それにグレース・ジョーンズや、クインシー・ジョーンズも聴いていました。テクノとかニューウェーブという意識はなくて、洋服を着るようなモードを楽しむという感じだったんでしょうね、きっと。楽しくてしょうがなかったというか。聴いても作ってもダンスしても全部楽しくて。だから新しい音楽が出て来るのを本当に楽しみにしていました。重たいレコードを何十枚も買って、電車に乗って帰った思い出もすごくあります。でも今はほとんどのレコードを手放してしまいました。今振り返ってみれば熱病のようなものでしたね。そういえば、私はとても夢中になった大事なものをパっと手放すというか、捨ててしまう癖があります。この前、家の倉庫にヴァガボンドの岡田崇さんが来てくれて、昔のカセットのマスターがあるかもしれないからと言って一緒に探してくれたんですけど、やっぱりなかった。捨てちゃったんですね・・・。
~本当の意味でのファーストアルバム「チュチュ」~
― 「チュチュ」の1曲目はテレックスのカヴァーです。これは誰の発案だったんですか?
細野さんと話していて、テレックスの曲をやってみようという事になって。憂いのある親しみ易いメロディーだったので自然と日本語の詩が浮かびました。
― テレックスとのレコーディングはどのように進行したのですか?
ベルギーのダン・ラックスマンの家の中にスタジオがあって、スタジオと言っても…彼の部屋の一部みたいなスペースで、そこで一緒にレコーディングしたんです。その年のブリュッセルは猛暑。今考えてみれば、その時から温暖化が始まっていたのかな。それまではエアコンなんていらない涼しい街だったのでどこにもエアコンがなかったんです!ホテルにも無いし、ダン・ラックスマンの家にも無いんです。だからみんなボーッとしちゃって、なかなか進まなくて、朦朧とした中でレコーディングしました。ベーシックなトラックをベルギーで録って、東京でミックスをしました。
― 2曲目は『レティシア』。これはマーティン・デニーなどのエキゾチック・サウンドを彷彿させますね。
この曲のインスピレーションは「ヴェニスに死す」という映画の中で、シルヴァーナ・マンガーノが演じる貴婦人が、海岸を歩いて行く優雅な光景から。ルキノ・ビスコンティの映画の中でとても好きなシーンの1つです。もう一つは、何の映画だったか分からないんですけど、テレビで観た映画で。宮廷か何かのシーンで、王様がいて、そういう時に小さく流れている。何となく南の鳥が鳴いていて、ピアノやマリンバ、それから豪華なストリングスの音、そういうのが頭のどこかに響いていました。それが何だったのか覚えていないんですけど。自分でエキゾチック・サウンドなのかどうかというのは何も知らなくて作ってしまって。後でマーティン・デニーを聴いて驚きました。あっ、同じっ!(笑)
― イメージから作曲したんですね。
ベースラインの重たい感じは、奴隷の鎖の感じもあり、でもそれとは別の、王様のような深いリヴァーブのかかったピアノの感じとか、そういう映像的なイメージが浮かぶとメロディーが自然と浮かんできます。
― 『スキャンダル・ナイト』。タイトルが80年代らしいですね。サウンドはニューウェイブ。サポートミュージシャンに岡野ハジメさんがベースで入っています。
フレットレス・ベースは当時はとても好きだったので。曲想は当時のニューウェイブな気持ちそのものです。この頃は頭を横にフラフラ振って手をちょこちょこするダンスが流行っていて、踊りながら作っていましたね。短い音、ポピュラーな旋律、音程の無い音・・・。
― 次は『ラムール…あるいは黒のイロニー』、これはミハルさんのオリジナリティーが特に出ている曲だと思いました。
作曲するときに、パゾリーニの「ソドムの市」、同じく70年代のマーロン・ブランドの「妖精たちの森」などのイメージがありました。この二つはまったく違う映画ですけれど、両方とも「子供たち」が出てきます。私にとっての子供たちの視点はいつも恐るべき存在であって、様々な真実を語るために大事な登場人物です。あっ、でもこれはあくまでも物語の中でのことです。
― 「チュチュ」での曲の作りは、RCA時代と違いましたか?
全然違いますね。昔はピアノだけだったので、とにかくピアノを弾きながら、歌いながら作っていたんですけど、「チュチュ」の時からはリズムボックスで最初にリズムを組んでからやったり、ある一部のメロディーから始めたり、アレンジも含めて作曲をしていくというスタイルが出来上がったファーストアルバムですね。本当の意味で。
― 5曲目の「シュガー・ミー」、これは歌い方がニューウェイブ独特の語尾上げのスタイルをとっています。曲によって当時のアーティストの影響を受けたことはありますか?
特にないんですね。歌唱についてはこの頃ははっきりとは定まっていなくて、好きなように歌ったらこんな風になったんです。この曲はまずベースラインが思い浮かび、歌のメロディーへと広がりました。エンディングのウーリッツァ-はどこか古いお城のイメージ、ホラー映画のような。詩は音楽が出来上がってから作りました。苦肉の策です。日本語と音楽のバランスは常に悩みです。
― 6曲目の「プッシー・キャット」。これはファンクですね。
そうですね、朧げながらジャジーなムードを作りたかったんだと思います。でも当時はファンクは聴いていましたけれど、ジャズについてはほとんど知識がありませんでした。古いシャンソンや映画の中にあるスウィングとか、ジャンゴ・ラインハルト、オイゲン・キケロなど、そういったものからのイメージというか。
― マイケル・ジャクソンが当時ソロになって一世を風靡していましたが、その頃のブラック・ミュージックの影響を受けましたか?
マイケルは大好き!素晴らしいダンサーだと思います。ブラック・ミュージックは沢山聴いて楽しんでいたけれど、少しも影響を受けられなかったです・・・どうしてでしょう?!
― 当時マイケル・ジャクソン以外に聴いていたブラック・ミュージックではありますか?
ブラザーズ・ジョンソンとかラムゼイ・ルイスとか、スティービー・ワンダーなどです。
― 『キープ・オン・ダンシン』です。
『キープ・オン・ダンシン』は、「ボッカチオ'70」のフェリーニの「アントニオ博士の誘惑」のアニタ・エクバーグのイメージ。グラマラスな美女、ピンナップ的な女性のセンシュアルなイメージを持って作りました。
― 『日曜は行かない』。この曲だけ、他の曲と比べると異質な感じがしました。
当時、他にボズ・スキャッグスとかスティーリー・ダンとかルパート・ホルムズなどのAORも好きで良く聴いていたので、そういった影響もあったのかも知れないです。だから、この曲だけはアメリカ寄りな、ニューヨークの夜景のイメージです(笑)。その後、イブニング・カフェで全く違った和音をつけてピアノで演奏したこともあるのだけれど、機会があれば作り直してみたいですね。
― ギターはYMOにも当時参加していた大村憲司さんです。
憲司さんのギターがとても好きで頼みました。
― 同様にYMOのマニピュレーターで参加された松武秀樹さんも4曲マニピュレーションで入っています。松武さんが入っていないものは全部生演奏で、シークエンサーを使っていないんですか?
ほとんどのものが手弾きです。
今も曲を作る時は弾きながらそれぞれのパートの旋律をプログラムしていきます。
― 最後の曲は『プティ・パラディ』ですね。この曲はデモの中でいつ頃出来た曲でしょう? というのはミハルさんのオリジナリティーがとても明確になった曲だと思うんですけど。
この曲はメロディーも詩も自然に出来上がりました。懐かしい恋の歌に耳を傾けるような感じ・・まず手回しオルガンのフレーズが思い浮かび、イントロのメロディー、アコーディオン、弦楽器・・・。この頃のレコーディングではアコーディオンはシンセサイザーの音色でしたが、鍵盤の音をマイクで拾って加えています。
― ボーナストラックで入っている『妙なる悲しみ』についておしえてください。「チュチュ」と「パラレリズム」の間に¥ENレーベルのクリスマス・コンピレーション用に制作した楽曲です。
そうですね。クリスマスと言われてもどうしたらいいのかわからなくて、キーボードに向かって何となく弾いていたらミニマルなフレーズが思い浮かびました。それから唐突にナチの強制収容所に捕まったユダヤ人の女の子が、収容所の柵を超えて森の中に逃げて行く姿が思い浮かんで・・・。そういう人が迎えるクリスマスという感じで。ファシストは大嫌いですけど、「地獄に堕ちた勇者ども」、「暗殺の森」、「サロン・キティ」などに惹かれている時期でもありました。
― そのような架空の物語や映像的なイメージから作曲するというような手法は「チュチュ」から始まったんですか?
多重録音するようになってからですね。とても変わりました。
― 多重録音になって自由度が広がったということでしょうか?
はい。幼かったので。自分が音楽を作るという意識が、以外なほどにぼんやりしていたというか。多重録音を始めてから、凄く自分の中では音楽が確かなものになったというか。それまではピアノのトラウマというか、そうでなければいけないという事が多過ぎたので、自分で限界を決めていたという事が多かったと思います。天真爛漫なところが希薄というか、何でもやれば良かったのにやれない、一歩踏み出せないと。それが機材によって急にパーンと違う世界に飛び出して行けたのでホントに救われました・・・。
― 一人で制作した「本当の意味でのファーストアルバム」と言われましたけど、『チュチュ』というアルバムをあらためて聴いた印象はいかがですか?
今振り返ってみると、気恥ずかしい感じがします。その時は夢中で作っていたので、瞬く間に通過してしまったというか・・。いつか生音でレコーディングしてみたいですね。でもとても不思議なんですけれど、昨年出した「覗き窓」という作品を作っている時は、この時代に作っている感じにとても良く似ていました。ほとんど譜面を書かずに、思いつくままにメロディーを重ねていくという感じが。・・・・やはり、私はテクノなのかも。
[2009年11月16日ミディアム/東京にて]